JAZZY JAY / JAZZY 5
Jazzy Jay は、1970年代初期にニューヨーク・サウスブロンクスの路上でB-BOYからDJとなり、そのキャリアをスタート。
Afrika Islam とともに史上初めてDJチームを組み、Grandmaster Flash や Grand Wizzard Theodore といったDJたちとしのぎを削った。
1980年代に入ると、路上や小箱からステージを移し、当時ニューヨークで人気のあったクラブ、ネグリル、ザ・ロクシー、ザ・リッツ、ダンステリアなとでレコードを回すようになる。
また KISS FM でDJとして番組を持つようになり、ヒップホップ音楽を初めてラジオの電波に乗せた。その3時間番組は、人気に火がついた頃には Jazzy Jay の従兄弟でDJの師でもあるKOOL DJ RED ALERTに引き継がれ、
形を変えて今なお続いている。1983年には、Jazzy Jay が結成してグループ、JAZZY 5 のシングル収録曲 “JAZZY SENSATION” がヒット。
クレジットにJazzy Jayの名前はないが、その直後にリリースされた AfrikaBambaataa&The Soul Sonic Force による国際的ヒット曲 “PLANET ROCK” を共同プロデュースしている。
さらに1984年の映画 “BEAT STREET” にDJ役で出演したことでスターダムに駆り立てられた Jazzy Jay は Rick Rubin と組み、Def Jam Records の立ち上げに参画。
レーベルのファーストシングルとして、TLA ROCK + Jazzy Jay の “It's Yours” がリリースされた。そして1985年、Russel Simmons をボーカルに迎えた3枚目のシングル “Def Jam/Cold Chillin' In The Spot” をリリースする。
その後、楽曲制作やエンジニアの技術を活かしてJazzy Jay's Studioを立ち上げ、音楽レーベルSTRONG CITY RECORDSを開始。同レーベルからDon BaronやMasters of Ceremonyなど多彩なアーティストを輩出した。
2000年には Technics/DMC のDJ殿堂入りを果たし、同年に公開されたDJドキュメンタリー映画 “SCRATCH” に出演。現在も Jazzy Jay は、ヒップホップ文化のオリジナル第一世代出身の稀有な現役DJとして、
またプロデューサー、リミキサー、エンジニアとして活動している。